管理人プロフィール
【管理人のプロフィール】
名前 | コバヤシ |
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出身 | 北海道(札幌市が中心) |
既婚歴 | 結婚24年(2022年現在」 |
性格 | のんびり、おだやか、寝るのが好き、ビビりな面もあって、前世は猫だと思っている |
職歴 | 服飾販売員、ピザ屋のスタッフ |
年齢 | 47歳(2022年現在) |
職業 | フリーランスのWebライター |
趣味 | 編み物、家庭菜園、登山 |
目標 | マチュピチュ、アンコールワット、ピラミッドなど世界中のパワースポットを巡る |
映画・ドラマ |
バイオハザード、ロードオブザリング、ハリーポッター、永遠の0、硫黄島からの手紙、千と千尋の神隠し、タイタニック、ハウルの動く城、海猿、風の谷のナウシカ、CUBE、SAW、ターミネーター、ハチ公物語、ホタルノヒカリ |
猫の飼育 | 捨て猫や譲ってもらった雑種の猫、実家にいたころから数えて6匹 |
【猫Dos管理人が実家で飼っていた猫について】
私がはじめて猫を飼ったのは、小学校入学したくらいです。
手のひらに乗るくらい小さな子猫を見て私は、こう思いました。
「ちっちゃくて、なんだこれは……。」
そんな小さくて弱々しい子猫を見て、手に取らずにはいられませんでした。
たぶん「猫を助けたい!」そんな正義感の強い気持ちではなく、子ども心の好奇心だったのでしょうね。
私は好奇心旺盛な子どもだったので、なんでも拾う癖があったようです。
「外でこんな人形を拾ったよ!」
このように母に報告することもありました。
母からはそんなガラクタ拾ってきて、捨ててきなさい!と言われることも。
「だって面白そうだったんだもん!」
それくらい私は、気になったものを見つけたら、なんでも拾ってきてしまうような子どもだったのです。
あまりにも、なんでも拾ってきてしまうので、ついに母からは叱られたこともあります。
「そんな、気持ち悪いもの拾ってきて!」
「変なものが憑いているから、捨ててきなさい!」
そこまで言われてはじめて、「なんでも拾っちゃダメなんだ……。」と思うくらい、好奇心が旺盛な子どもだったことを覚えています。
子猫を見つけたときも、「ママ!見て!こんなもの拾ったよ!」という感じだったのでしょう。
私は、子猫を見つけてとても嬉しかったことを覚えています。
あまりにも嬉しかったので、すぐに子猫を家に連れて帰り母に報告したほどです。
【はじめて飼った猫は、離乳も終えていない小さな子猫だった】
拾ってきた子猫は、目も見えない、離乳も終えていない、自分でオシッコもできない小さな子猫でした。
あまりにも見た目が悪いので、母からはネズミみたいと言われたほどです。
今考えみても本当にネズミみたいな汚いねずみ色をした猫で、「ギャー、ギャー」とうるさく泣いていて、子猫のかわいらしさとはほど遠い猫だったように思います。
そんな、かわいいといえない子猫でしたが、私にとっては興味津々だったようです。
「だって、生まれてはじめて見る小さな生き物」だったのですから。
私は母親と協力しながらミルクをやりお尻を拭いてあげたことを覚えています。
何件ものお店を回ってようやく猫用粉ミルクを手に入れて、母に「私がミルクをつくって猫にあげたい!」とねだるほどでした。
子猫は「ゴクゴク」と音を出しながら勢いよくミルクを飲むので、小学生だった私にとってお人形遊びの感覚に近かったのかもしれません。
また、はじめて猫のオシッコが出たときは感動したものです。
母にオシッコのさせかたを教えてもらったので、私はそのとおりにやりました。
そのようすを見て私は「子猫って自分でオシッコできないんだ……。」と知りました。
片手で子猫を抱え上げ、子猫のお腹を上に向けて肛門あたりをさすってやると、「ピュー」と音がするくらい勢いよくオシッコが出たことを覚えています。
【私が猫好きになったのは最初の子猫と母のおかげ】
たぶん、その貴重な経験があって、私は猫が大好きになったのでしょうね。
子どものころのそんな子猫との日々を思い返してみると、突然子猫を拾ってきた私を受け入れてくれた母に感謝したいと思います。
だって、母は猫を拾って来たらダメでしょ!と一言も言わず、私の行為も子猫も受け入れてくれたのですから。
私は子どものころ、なんでも拾ってきて叱られた話をしましたが、子猫を拾ってきたときは、不思議と母に何も言われなかったのです。
「なんで、子猫はいいのかな?」
そう疑問に感じながらも、子猫にミルクをあげてオシッコをさせるお世話で一生懸命だったので、疑問はすぐに忘れてしまいました。
ときがたち私が母になり、今考えてみたら母の愛情はすばらしいことだと思います。
そんな愛情に包まれて育った私は、捨てられている猫に同じような愛情を注ぐことは普通だったのかもしれません。
【はじめて飼った猫がいなくなり新たな猫を拾う】
その当時は、猫を屋外に出すのは普通です。
我が家でも、子猫を庭に出すことが多く、猫は自由に外へ遊びに行きました。
「さあ、外に遊びに行っといで!」
猫が窓辺でニャーと鳴けば、私が窓を開けて猫を出してやり、少し時間がたって窓を見ると猫は入れてほしくて鳴くので、その日常は当たり前に続くと思っていたのです……。
しかし、ある日猫が帰ってきません。
私は庭に出て、「〇〇ちゃんー!」と大きな声で叫び猫を探します。
「まさか帰ってこない!」なんて考えることはなく、探し続ければ猫は帰ってくると疑いもしていませんでした。
近所中を探し回り、張り紙もして帰ってこなかったので、たぶん事故かなにかに遭ったのか、遠くへ追いやられてしまったのでしょうね。
母は、車にひかれたかもしれない……と言うので、保健所に電話して似た猫がいないかも聞いてもらいました。
私はかなりショックで、毎日神様に猫が帰ってくるよう祈ったものです。
「〇〇ちゃんが帰ってきますように。」
「神様、いい子になるので、〇〇ちゃんを家に帰してください。」
小学低学年のことなので子猫の名前は記憶にないのですが、その猫のことを大切に想っていたことだけは覚えています。
【いなくなった猫と似た猫を母が拾ってきた】
それでも子猫が帰ってこない日が続いて諦めていたところ、最初に拾った子猫と似た猫を母親が拾ってきました。
母は〇〇ちゃんと似てると言うのです。
私は正直いって「それって違う猫でしょ?」と思いながらも、母が同じ猫だと思いたい感じだったので、その言葉は言いませんでした。
「確かに似てるけど、違う猫だよね……。」
こう思いながら、母が拾ってきた猫を飼うことにしたのです。
たしかに、シャムネコ系統で毛の色は似ている猫でしたが。
私は、「シャムネコって高級な猫じゃないの?」
「こんなに高級な猫が捨てられているものなの?」とも思ったものです。
それでも、偶然ってあるみたいですね。
まさに運命の出会い。
私が実家を出てからも、そのジーナという名前の猫は母と20年以上も暮らしたのでした。
母の猫になる運命の猫だったのでしょうね。
【赤ちゃんを失い、私は命の大切さを知ることになる】
ジーナは避妊手術をするため病院に連れて行くと、妊娠していたことがわかりました。
手術するなら赤ちゃんを取り出さなければならないと言われたので、そのように選択するしかありません。
赤ちゃんは残念ながら生まれることはできなかったので、子どものころの私はよくわかっていなかったけど、今でも心に残っています。
避妊手術に連れて行った動物病院は、近くの古い感じの病院でした。
その先生は子どもの私がいる目の前で、「ホイッ」という感じで、取り出した赤ちゃんをビニール袋に粗末に入れて見せてきたのです。
私は「なんであんなもの見せるの!」と怒っていました。
取り出された赤ちゃんを粗末にビニール袋に入れていたのがショックだったので、私は勝手に「子どもに見せるものじゃない!」と思っていたようです。
でも、今思い返せば先生の気持ちはわかります。
「避妊手術のためとはいっても、赤ちゃんを死なせてしまった……。」から。
恐らく先生は、動物の命の大切さを教えるため、子どもの前でもあえて粗末に扱われた赤ちゃんを見せてきたのかもしれません。
もちろん「その先生が、ただガサツなだけ」の場合もあるかもしれませんね。
でも、「命を扱う人は素晴らしい人だろう」という私の勝手な想いや、ジーナの赤ちゃんに対してやったことを正当化したい気持ちもあって、「その先生は命の大切さを教えてくれた」と思いたかったのでしょう。
そんな経験もしたので、ジーナに出会って私は生き物の命の大切さを学んだようです。
【ジーナが20年以上も生きられた理由とは?】
ジーナは、私が実家を出てからも元気で、実家で寿命を全うすることができました。
たぶん、20歳を超えていたのではないでしょうか。
「猫って、こんなに長生きだったっけ?」と思うほどです。
私の夫はジーナがあまりにも長生きなので尻尾が増えてるんじゃないの?と言うので、私は「本当に尻尾が増えたら妖怪でしょ?」と思ったこともありました。
ジーナという猫は、毎日猫缶を食べていたのです。
その当時、猫缶というと私は「魚クサイから嫌い」と思っていました。
また、「猫缶は管理がめんどくさいから……。」とも。
私は母に「どうしてジーナに猫缶をあげるの?」と聞いたことはありませんでした。
ただ「ジーナが猫缶を好きだからかな?」と単純に思っていたからです。
でも、その母の行為が、ジーナを長寿にするなんて、その当時は思いもしませんでした。
最後はガリガリになり枯れるように亡くなり、病気ひとつしなかったので、飼い主としても猫としても理想的な亡くなり方だったと思います。
【ジーナが老衰で亡くなるまで】
私が結婚して家を出て子どもを産んでからも、母の家に遊びに行くことがありました。
ジーナの最後は、「体は座布団ほどの厚みしかない」と感じるほど痩せていたことを覚えています。
体に触れるたび「ガリガリだな」「またジーナ痩せた?」と感じるくらいに。
ジーナが20数年生きたころ、だんだん食欲がなくなってきました。
「それは自然な行為だから仕方がない」と思っても、痩せこけて命を削っていく様子に耐えられなかった母は、最期に1日でも長生きさせたいという想いがあったようです。
母と一緒に病院に行き、栄養チューブをもらってきたこともあります。
でも、寿命が尽きる日は刻々と近づいてきて、ある日母からジーナが死んだよと伝えられたのです。
ジーナは私にとっても、長く一緒に過ごした猫だったので、最後のお別れに行くことになります。
最後の姿を見ようと母の家に行った日、私は自分の家に一度帰って、その夜、夢にジーナが出てきました。
母に、「〇〇の交差点でジーナが迎えに来る夢を見たよ」と言いました。
その交差点は私の家から母の家に向かう途中にあり、普段ならジーナを見かけるはずがない交差点だったのです。
車通りが激しい交差点なので、ジーナがいるはずありません。
だから、私は何気なく夢に「ジーナが出てきたよ!」と母に伝えたかったのです。
すると母は夢でジーナがあんたを迎えに行ったんだねというので、私は「そうか、ジーナが最後のお別れに、夢に来てくれたんだ……。」そう思いました。
【管理人が実家を出てから飼った猫について】
私が実家を出てからは、自分の家でも猫を飼うことになります。
新聞に「子猫ゆずります」という案内を見て、トラ猫の子猫をもらってきました。
私はお店で「猫を買ってくる」という考え方がまったくなく、小さいころから猫は拾う・もらうものだと思っていたようです。
残念ながらその子猫は、すぐに亡くなってしまいました。
猫が好きな私は懲りずに、チャラという猫を新聞の「子猫ゆずります」の案内を見てもらうことになります。
チャラは夫がもらってきた猫です。
たくさんいた猫の中で、目ヤニで目がつぶれていた猫を選んだそうで、夫は「見た目が悪く誰ももらい手がいなかったら、かわいそうだから」と選んだと言っていました。
そんな経緯もあって、チャラは夫が大好きな猫でした。
「もらってくれた恩を、チャラは感じているのかも?」と思うほどです。
そう考えると、猫との縁は大切にしたいですね。
【チャラが呼吸困難をおこして亡くなってしまう】
ある日団地に引っ越したとき、チャラは呼吸困難で亡くなりました。
団地に入居するときに、内壁一面をペンキで塗装されていたのですが、その塗料のせいで私の喘息がひどくなり入院することとなり、チャラも呼吸器系を悪くして亡くなってしまうのです。
「チャラが苦しそう!」
すぐに病院へ連れて行くことになります。
そのとき、化学物質の恐ろしさに気がつきました。
団地は密室で、狭い部屋に過ごしている猫は、体が小さく私よりも何倍もの化学物質の影響を受けたようです。
獣医さんからは「劇薬を使ったみたい」と言われました。
「もしかして、私が何か猫に悪い劇薬を使ったと思ってるの?」
今でもその言葉は忘れることができません……。
「たとえば、殺鼠剤を使ったとか?」
私にとって、獣医さんのその言葉はどうでもいいと感じました。
とにかく、チャラが突然死んだことがショックでたまらなかったのです。
チャラが緊急入院になってすぐ、獣医さんから助かりそうだと聞いていたのでした。
しかし、その数時間後、冷たくなったチャラを抱えて帰宅することになります。
病院にはたくさんの飼い主さんがいたけど、私は涙を抑えることができず、獣医さんに「ありがとうございました」とお礼を告げることしかできませんでした。
【私は、はじめて猫をなくす辛さを知った】
家族でご飯を食べているとき、涙が自然と出てきて止まりません。
「子猫がいなくなったときよりも、チャラが死んだほうが辛い……。」
チャラは夫に懐いている猫で私と仲良しなほどではなかったけど、このときはじめて猫を亡くす辛さを味わったのです。
実は、チャラが亡くなる少し前に、団地の近くで子猫を見つけて拾ってきたので、団地ではチャラとレモンという子猫を2匹飼っている状態でした。
チャラが亡くなって、私はかなり辛かったけど、ペットロスにならなかったのはレモンという子猫がいたおかげだったと思います。
さいわい、レモンが団地に来たときは、壁のペンキがやや揮発していたため、チャラのように呼吸器がダメになることがなく、問題はありませんでした。
【私が呼吸困難になるくらい辛かった猫の死について】
しばらくして団地を引っ越して、一戸建てを買いました。
チャラが亡くなる少し前に拾ってきたレモンは10年近く一緒に過ごしていた猫で、私は目に入れても痛くないくらい、かわいがったものです。
しかし、ある日レモンのお腹にしこりを発見します。
乳がんでした。
「え?!うそ?」
現実逃避したくなりました。
みるみる内に、しこりが破けて出血するようになります。
乳がんが判明してから半年ちかくは生きられましたが、刻々と確実に死が迫っていて、今思い出しても涙があふれてくるくらい辛かったです。
「レモンがいなくなるなんて、耐えられない……。」
毎日そんな気持ちでレモンと過ごすしかありませんでした。
レモンが乳がんになってはじめて、「猫を長生きさせたい」と思うようになります。
とにかく「1日でもレモン長生きして!」ただそう願うだけでした。
ネットで調べて動物の癌にいいとわかったものは、試してみるほどに。
ご飯も変えたし、サプリメントも与えて、「体質を改善させるしかない」と考えていたのです。
その影響もあってなのか、乳がん発症から半年くらいは生きられました。
猫の乳がんは進行がはやいそうで、短い期間しか生きられない猫が多いそうです。
でも私はいま考え直しても、「最初から猫のためを想ってご飯を考えればよかった……。」という後悔が残っています。
【ペットロスが辛すぎて、私は過呼吸で息ができなくなった】
そして、レモンが亡くなり数か月したとき、私は過呼吸で息ができなくなりました。
「どうしよう、息が吸えない、このまま死ぬかも?」そう思ったのです。
もともと喘息もちなので、「喘息のせいかな?」と思って受診したのですが、一向に改善することがなく、息が吸えるけど苦しくなることに気がつきました。
病気なら薬でよくなるけど、そうじゃないから「どうしよう、どうしよう」とますますパニックになり、その後も何度か過呼吸を繰り返していたと思います。
そんなとき、私の息子に「過呼吸じゃないの?」と言われて、私は「レモンが死んで辛かった自分」に気がつきました。
過呼吸は息を吸い過ぎてしまうことが原因のようで、精神的な影響があるそうですね。
テレビでよく「過呼吸になったとか、パニック発作になったと聞くけど、私がまさか……。」
私自身は、自分は心が強いと思っていたので意外でした。
あの辛さは、なった人にしかわかりません。
すぐに新しい猫を飼う機会はあったのですが、私が拒否したため、レモンを亡くしたペットロスから立ち直ることはできませんでした。
ただ、「時間が過ぎて心が癒えるのを待つしかない」状態を長く過ごすことになります。
【私がブログを運営しようと思った理由】
私がこのブログを運営しようと思ったのは、最後に語ったレモンという猫の闘病生活があったからです。
「猫が病気になってからじゃ遅い」
「後で後悔しても、亡くなった猫は取り戻せない」
このような後悔する気持ちを、猫を飼う多くの人に感じて欲しくなかったからです。
そして、猫と暮らすなら、「1日でも長く一緒に過ごしてもらいたい」という想いから、「猫を飼うなら食の大切さに気が付いて欲しい」という気持ちでブログ運営することを決意しました。
猫の平均寿命は14年ほどといわれていて、人と比べると圧倒的に短いです。
「いつまでも猫と一緒にいたい」と思いますが、それは叶わない現実なので、せめて「病気をせず、寿命を全うできれば」という想いを多くの飼い主さんに伝えたいと考えています。
【実は、私も猫のご飯の大切さに気が付かなかった一人】
私が愛猫を亡くしパニック発作になった経緯から、「これから猫を飼う人に同じような辛い思いをして欲しくない」と思うようになりました。
そこで、あらためて猫のご飯について学ぶことにしたのです。
たくさんの猫の飼い方本を読んでみると、食の大切さを訴える本は多くありました。
食の大切さを伝える本が多いのに、私が目に留まらなかったのは、本気で「猫を長生きさせたい」と考えていなかったからで、愛猫を亡くしてはじめて気が付いたのだと思います。
たぶん、猫を飼う人の多くは、猫との楽しい日々をイメージしてワクワクしていますよね。
猫を飼うのは実際楽しいし、幸せな日々を過ごすことができます。
そんな日々で誰もが、猫が亡くなる日のことを考えることはないと思います。
でも、猫は確実に自分より早く死んでしまうのです。
だからこそ、1日でも長く愛猫との幸せな日々を過ごしたいなら、「食に目を向けるしかない」と私は確信をもって多くの飼い主さんに伝えたいと思いました。
【当ブログの理念】
このブログを運営する目的は、「1人でも多くの飼い主さんに、猫の食の大切さに気付いてもらうこと」です。
なぜなら、実家で飼っていて20年以上生きられたジーナは幸せな亡くなり方をしたから。
母もペットロスで「もう二度と猫を飼いたくない」「ジーナより可愛い猫はいない」と言っていたのですが、私のように乳がんで苦しむ様子を見ながら愛猫を見送る思いをしなかったので気持ちの整理はついたと思います。
愛猫を見送るなら、納得して見送りたいですよね。
私のような辛い猫の見送り方をしないためにも、ブログを通して猫の食の大切さを訴えていきたいと思っています。
【猫が好きな飼い主さんに幸せになって欲しい】
「本当なら愛猫とずっと一緒にいたい」
でも、愛猫と過ごせる時間が限られていることは決まっているので、私は猫の飼い主さんが1日でも長く愛猫と長く幸せに過ごせる大切さを伝えたいと思いました。
そのため、猫が長生きするよう「食が大事」だとブログを通して伝えることにしました。
もしかしたら、このブログを読んでくれる方は、私と同じように猫を病気で亡くした経験があるかもしれません。
人の健康も同じで、大切な人を病気で亡くしてはじめて、食の大切さに気が付く人は少なくありませんよね。
猫の健康も同じで、このブログを見つけてくれた方のなかには、「どうやったら猫が病気にならなくて済むのだろうか?」「1日でも長生きして欲しい」と願っているのかもしれません。
そんな方に、私の経験したことで得た情報などを伝えて、役立ててもらいたいと思います。
私は猫を愛する気持ちは人一倍強いつもりなので、私と同じように猫が大好きすぎる人に、私のブログ記事を役立てていただけたら幸いです。
私が飼った猫の様子から私が想うことを書いたため長い文章となってしまいました。
長い文章を、最後まで読んでいただきありがとうございました。